508回 (2014.6.14

百年前の遍路の実相 〜相原熊太郎述『四国遍路の話』〜

三好 恭治 (一遍会 理事)

 

 平成二六年は、弘法大師空海が四国霊場を開創したと伝えられる弘仁六年(915)から数えて一二〇〇年の大きな節目に当たる。この機会に、一遍会六月例会の卓話で一遍会の黎明期のメンバーであった相原熊太郎翁の『四国遍路の話』を紹介し、相原翁を偲ぶことした。

『四国遍路の話』は昭和二年(1927)三月二七日東京放送局で相原熊太郎氏が放送した内容である。昭和三年九月に四国霊場第五〇番札所 繁多寺住職・丹生屋隆道師により出版された。卓話資料として相原熊太郎述『四国遍路の話』を複写して配布した。

全体は十一項目からなっている。

@大師修行の跡

A真剣味の旅行

B盲や、イザリ

C色々の伝説

D信仰美談 

E遍路の服装

F南無大師遍照金剛

Gおせったい

H善根宿

I遍路のお札 

J納札流し(伊予高浜港)

放送後八五年経過しているが、当時と大きく様変わりした内容ではないが、記憶すべき事柄を特記したい。

○四国遍路 讃岐・善通寺で生まれた弘法大師が青年時代に修養の為に阿波・土佐・伊予・讃岐をめぐった御跡を訪ねる。ほぼ三〇〇里。旅費は一日五〇銭、二〇円以内で遍路ができる。

(注)当時の一円は現在の八千円相当。

○四国巡拝の祈願をこめた者に限って、病人が全快しなくとも、死亡しても、誰かが代参しなくてはならんという信仰がある。お願をかけて回って居る四国遍路の気分は云う迄もなく真剣である。

○イザリ車は村人が山道を送る、小学生が村から村へと車を曳いて送る。小栗判官の様に引かれて次から次へと廻る。

○参拝は、@御詠歌 A本尊に対する呪文 B「南無大師遍照金剛」である。

(注)「般若心経」は昭和三〇年代後半から定着。

○奉納札(住所氏名)→無字の白札(七回目)→赤札(白札二一回)→銀札(赤札三〇回又は四〇回)→金札(五〇回)→非常なる尊敬(一〇〇回以上)

 ○納札流し(伊予高浜港)は毎年五月第二日曜日(伊予鉄道では稚児は無料扱い)。

 旧松山領内拾ヶ寺(大宝寺、岩屋寺、浄瑠璃寺、八坂寺、西林寺、浄土寺、繁多寺、石手寺、大山寺、圓明寺)が対象で、参加者は一万人。ほかに 供養僧四〜五〇人、大伝馬船(一〇〇人乗り)数隻(大阪商船会社提供)と小船一〇〇隻。